Profile
プロフィール
小さいころから絵を描くのが大好きで、気づけば「絵本作家になりたい」って夢を抱いていました。テキスタイルなどのデザイナーをへて、インターナショナルアカデミー絵本教室に学び、黒井健、高畠純らの指導を受け、1998年『よーい よーい よい』でデビュー!
作品に、『あっちゃん あがつく』(みね よう/原案)『カっちゃん カがつく』(みね よう/原案)『しりとりしましょ!』『おみせやさんで くださいな!』『おしゃべりさん』『おかしな おかしな おかしのはなし』『へんてこかぞえうた 1ちゃん いちにち』『どっきり かぞえうた ちょっぴりこわいぞ』(高木 あきこ/うた)『たべものかるた』(みね よう/原案)『しつもん おしゃべりさん』【第3回ようちえん絵本大賞受賞】(以上リーブル)『あぶくたった』『おべんとうばこの うた』(以上ひさかたチャイルド)『なぞなぞちゃん』(ポプラ社)『ゆげゆげ~』(教育画劇)『おいしい おと なあに?』(あかね書房)『まほうの でんしレンジ』(たかおか まりこ/原案 ひかりのくに)『まんまる おつきさん』(ねじめ 正一/作 偕成社)『おはなし だいどころ』『おはなし きょうしつ』(以上PHP研究所)『十二支のかぞえうた』(佼成出版)『子どもと楽しむ 行事とあそびのえほん』(すとう あさえ/文 のら書店)【産経児童出版文化賞ニッポン放送賞受賞】『ホットプレート よ~いどん!』(白泉社)『まよなかのおしっこ』(KADOKAWA)等多数。
History
絵本作家になるまで
おぎゃ~!
1966年9月2日大阪府堺市におぎゃ~!と元気に誕生。!
「忍の一字は衆妙の門」(忍耐こそが何事をも可能にする決め手である)という父の重いメッセージを背負って、『忍』と名づけられました。
当時父がつけていた育児日記にはこんな母のボヤキが記されていました。
「お祝いに来てくれた友人が、誰も娘を『かわいい』と言ってくれない!」
当時の写真を見れば本人も納得するしかなく・・・
男前の父と色白の母からなぜこんなことに・・・と首をかしげたくなる娘のあだ名は、なんと「渥美清子」(寅さん、失礼!)
でも、そんな私の未来を母だけは信じてくれていました。
「あなたの目はキラキラ輝いている。いつかきっと、何かを成し遂げる子よ!」
その言葉は私にとって最強のお守りになったのです。
おてんばな幼少期
幼稚園では、ヒステリックな先生に反抗したのか、お弁当を全く食べない「ハンスト少女」に。それでも両親は私を叱らず、ただ黙って見守ってくれました。
年長さんで優しい先生に出会うと、本来の明るさが爆発!お遊戯会では主役級の活躍を見せ、皆勤賞をもらうほど元気な子に成長しました。
小学校に入学すると、その活発さはさらに加速。一度遊びに出かければ、日が暮れるまで帰ってこない私に、父は『鉄砲玉子』というピッタリなあだ名を授けてくれました。そんな鉄砲玉子が家にいる時間は、もっぱらお絵描きタイム。
絵本と出会う
小学2年生のある日、チラシの裏に夢中で物語を描きました。タイトルは『きゅうりとウィリー』。子どものいない夫婦が「赤ちゃんが授かりますように」と願っていると、きゅうりが赤ちゃんを連れてきてくれる、という奇想天外なお話です。この頃からすでに、きゅうりを擬人化する才能があったようです。
それを見た母は、「すごいね!」と手放しで褒め、画用紙を買ってきてくれました。私が絵を描き直し、父が文章を清書して、世界に一冊の絵本が完成。母の勧めで担任の先生に見せると、クラスのみんなの前で読み聞かせをして、たくさん褒めてくれたのです。あの時の誇らしい気持ちは、今でも忘れられません。(母が大切に保管してくれていたはずの、この幻のデビュー作、どこに行ったんだろう…)
転校先で出会った画家のお父さんに絵を習い始めると、私の才能はぐんぐん開花。6年生の時には、お寺の写生画で賞をいただくまでになりました。大変だったけど、一枚一枚心を込めて描いた屋根瓦は、なかなかの出来栄えでした。
芸術を学ぶ高校時代
高校で出会った熱血美術教師のおかげで、私の高校生活はまさに「宝石のような3年間」となりました。毎日80号のキャンバスと向き合い、油絵に没頭。3年生の時には、毎日新聞社主催のコンクールで入賞し、上野の森美術館での授賞式へ向かうという、最高の思い出もできました。
ロング通学
嵯峨美術短期大学へは、なんと往復5時間、乗り換え8回という驚異のロング通学!でも、そのおかげでたくさんの本と出会え、私の世界は大きく広がりました。
パレット
アパレル商社でデザイナー
卒業後は、ボーナスに惹かれて入社したアパレル商社でデザイナーデビュー。時はバブル絶頂期。仕事は夜遅くまで及びましたが、自分のデザインが商品という「カタチ」になる喜びは、何物にも代えがたいものでした。
結婚までの5年間、ハードながらも最高に充実した日々を駆け抜けたのです。
しかし、結婚後もデザイナーの仕事を続けるも、体調を崩し、30歳を前にして、私の人生は一旦ストップします。
絵本的な商品を作っていた
回り道が教えてくれた、本当の夢
「私の本当にやりたいことって、なんだろう?」
人生を見つめ直したその時、ふと、小学校の卒業文集の言葉が頭をよぎりました。
『私の夢は、絵本を描く作家になることです』
そうだった。私は、絵本作家になりたかったんだ!
忘れていた夢を追いかけるため、絵本教室の門を叩きました。
そこで黒井健先生や高畠純先生といった素晴らしい師に出会い、再び絵と向き合う日々が始まります。そして1998年、高畠先生にご指導いただいた『よーい よーい よい』が月刊絵本として出版され、ついに長年の夢だった絵本作家としてデビューを果たしたのです。
いつも「あなたの目はキラキラしている」と信じてくれた母がいました。
才能を褒めてくれた父がいました。
素晴らしい先生や友人たちがいました。
たくさんの温かな愛情に支えられて、しっかりと自分の夢をカタチにすることができ、
絵本作家『さいとうしのぶ』としての道が開かれたのでした!
Social Contribution
社会貢献
みんいく(睡眠教育)活動への協力
2015年に大阪府南部の堺市立三原台中学校で、教員とPTA役員と地域住民が活動し、始まった「みんいく(睡眠教育)」。
みんいくについてもっとみる子どもたちに睡眠の大切さを伝えたい、しっかり眠れていないとどんなことが起こるのか、わかりやすく伝えた絵本の挿絵を担当しました。また、紙芝居も制作!
原画展示・講演会・絵本ライブ・ワークショップ
絵本の原画展示や、わらべうたの絵本や大型絵本、紙芝居などの読み聞かせる絵本ライブや手作り絵本を作るワークショップといった、ちいさなお子さんから大人まで楽しめる活動を全国各地で行っています。
多くのこどもたちと交流し、こどもたちに絵本の楽しさを伝えています。